脊振山レーダー基地


脊振山は、まだ雪が残っています。
概要:「太平洋戦争後の占領下、緊張が増す朝鮮半島を臨む立地の良さから米軍のレーダー施設レーダーサイトが山頂に建設され、その関連施設が南側尾根に沿って建設された。これらの施設は航空自衛隊に移管され脊振山分屯基地として現在に至っている。福岡県と佐賀県の県境にある最高峰として、その立地の良さから警察庁や新聞社の通信施設がある。
脊振山では2度、1936年(昭和11年)11月19日と1987年(昭和62年)2月17日に航空機が遭難している。霧が立ちこめる空の難所でもある。特に1936年のフランスの飛行士アンドレー・ジャピー (André Japy) の遭難では、旧脊振村民により彼は無事救出された。今も山頂付近にひっそりと記念碑があり、美談として語り継がれている。1987年、海上保安庁に所属するビーチクラフト式200T型(JA8825)が福岡空港から離陸後、脊振山の南南東1.5km付近の斜面に衝突し4名が死亡した。救難業務のため現場付近に向かう途中であった。
なお、脊振山の表記は正式には「脊」を使い、「背」ではない。」(ウィキペディア フリー百科事典より引用)